引田漁業協同組合が全力でお届けしています。
液体噴出
CIMG8825_convert_20170327165658.jpg

あたり一面に飛び散ったボラのウロコを、

いったんホースの水で勢いよく洗い流しまして、

いよいよ解体作業に取り掛かります。

まずは頭部の切断。

胸ビレの後ろあたりから、

大胆に包丁を入れまして斜めにズバッ。

そうしますと、

謎の黄色い液体がブシャッと噴出してまいりましたが、

気にせず反対側からもザクッ。

そして最後に腹ビレの後ろから、

頭部に向かって切り込みを入れてまいりますと、

これにて頭部の取り外し完了。

あとは、腹部を切り開き、

内臓をかきだして、

腹腔内を水道水で洗い流せば準備完了。

続いて3枚おろしの作業に入りたいと思います。

しっかし、見てくださいこの色を。

ボラのお腹の内側って、

薄汚れた黒い色をしてるんですよね。

やっぱりアレなのかなぁ。

こういうところにも、

イマイチ人気が出ない理由があるのかも知れませんね。

CIMG8824_convert_20170224164129.jpg


農林水産業 ブログランキングへ
スポンサーサイト
飛散
CIMG8816_convert_20170224164017.jpg

ボラを食べてみよう。

というわけで、市場で購入いたしましたボラをですね、

これから解体してまいりたいと思います。

はたしてボラは「臭い」のか「美味い」のか?

とは言ってもアレだな。

「沖のボラは美味しい」

とかって話を漁師さんから聞いたコトがあるような気がするな。

ということは、

沖で獲れたもの以外は、不味いのかもしれないな。

河口とか河川にいるやつはなんとなく論外として、

港の近くにいるようなのもダメなのかな?

獲れる場所で美味しさに違いがあるのかもしれませんが、

とりあえず、引田漁協の市場に並んでいるボラは、

沖で獲れたものですから大丈夫。

というわけで、現在では人気が低いお魚ではありますが、

その昔は高級魚であったボラのその味を確かめてみたいと思います。

まずは包丁でウロコをゴリゴリ。

ゴリゴリゴリゴリ、ピンピンピン。

ゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリ。

ピンピンピンピンピンピンピン。

ゴリゴリ削ると、ウロコがピンピン。

汚らしいといいますか、なんといいますか、

あたり一面にウロコが飛散し、かなり悲惨な状態に。

こういうところに、

イマイチ人気が出ない理由があるのかも知れませんね。

CIMG8821_convert_20170328172826.jpg


農林水産業 ブログランキングへ
ボラを買ったよ
CIMG8809_convert_20170224163944.jpg

というわけでボラ購入。

その昔は高級魚であったというボラ。

いつしか、「臭い」などと言われるようになり、

人気がなくなり、

そして現在では「安物」的な扱いをされているわけですが、

それでもホラ、

昔は高かったんだから、

そんなにマズイ魚ではないハズなんですよね。

そこで、実際に食べて、

その味を確かめてみたいと思います。

ちなみに、ワタクシが購入いたしましたこのボラ2尾についてですが、

なんと言いますか、

価格的にそんなには安くなかったんですよね。

ここだけの話ですが、

市場価格でワンコインくらい。

これを高いとみるか、安いとみるかは、

そうですね、

食べてみての結論とすることにいたしましょう。

そうそう、ボラの目の部分には、

脂瞼と呼ばれる脂の膜が張っているんですよね。

寒ボラになりますと、

目が見えないほどにこの膜が張るなんてこともあるのですが、

「昔はおったけど、最近はそんなヤツみたことない」(A料理長談)

今回のボラもそこまでではないみたいですね。

CIMG8807_convert_20170224163958.jpg


農林水産業 ブログランキングへ
そしていよいよ本題に
CIMG9334_convert_20170322163605_20170323170941bdd.jpg

その昔、引田で盛んであったというボラ漁「中高網」

ここまで、その内容について、

いろいろと調べてまいりましたが、

網入れの日には、祭のような賑いを見せたという

「ボラ漁・中高」もですね、

昭和三十年代に、ボラは油臭がするなどと言われるようになり、

敬遠され次第に消えていったということでありました。

そして、そのボラの「臭い」というイメージが、

平成29年の現在まで、

なんとなく続いてきているような雰囲気がありますが、

実際に食べてみて「油臭がする」などと言っている人を、

ワタクシ聞いたことがないんですよね、ホントに。

というわけで、そのあたりのコトを検証するために、

これから実際に「ボラ」を購入して食べてみたいと思います。

これまで調べてまいりました、

村・浦、総出の一大イベントであった「ボラ漁」のこと。

その日を待ちわびたであろう当時の人々の熱気、高揚。

さまざまなことに思いを馳せながら、

また、養殖の普及により、

著しくその価値を落としたともいわれる、

「ボラ」の歴史的な背景をも考えながら、

しみじみと味わってみることにしたいと思います。

おっと、その前に。

今回、「中高網」について記事にするにあたり、

ご協力をいただきました萩野氏(ワタクシの同級生でもある)に、

この場をお借りして心より感謝申し上げます。

そして、その昔「ナカダカ」について、

お教えいただいた工藤氏にも、

改めて感謝申し上げる次第でございます。

photo20.jpg


農林水産業 ブログランキングへ
言いたかったこと
CIMG9299_convert_20170321165345.jpg

その昔、引田で盛んであったというボラ漁「中高網漁業」について、

ここまで長々と説明させていただいてまいりました。

しかしながら、ホントに言いたかったことは、ただひとつ。

中高網研究の第一人者、萩野氏の研究冊子より言葉を借りれば、

中高網は冬場にボラを獲るまき網の一種である。

今でこそ魚類の養殖技術や流通が発達し、

季節や生産地を問わず様々な魚種が手に入るが、

これらが未発達であった前近代では、

冬場に獲れる魚は限られており

【中略】

冬場の中高網は貴重な収入源であった。


そして、

現在、引田ではボラは下魚扱いであるが、

昭和二〇年代まで特に寒ボラは高級魚であった。

また、隣地の白鳥神社では、

現在祭礼の供物としてタイを供えているが、

昭和四〇年代にはハマチ、それ以前はボラを供えていたとという。

【中略】

ボラは出世魚であり、縁起のいい魚ということから珍重されていた。


これらの部分。

現在は価値の低い魚であると認識されがちなボラが、

その昔は重要魚種であったこと、

また、その価値も現在とは比べ物にならないほど高かったこと、

ワタクシが本当に言いたかったのは、

これらの事にあるわけでございます。


農林水産業 ブログランキングへ
ふたつの証言
螟懷・陌ォ諠ウ蜒丞峙sssss_convert_20170322164537

そしてもうひとつ。

その昔、引田で盛んであったというボラ漁「中高網漁業」

時期になると、漁場の一定の区域を禁漁区(留め海)にし、

集まった魚を保護し、逸散を防ぎ、

夜は番船が出て「夜ねり」して魚の集合状況を監視する、

ということで、

その話を聞いたときにですね、

ワタクシふと疑問に思いまして、

「夜の真っ暗闇の中で、どうやってそれが分るんですか?」

と質問した記憶があるんです。

そのときの答えが、

「夜光虫」 (一番上は想像図

ボラが多く集まるとその動きに反応して、

海の中で夜光虫が光輝くんですって。

その光で、魚の集合状況を判断したのだそう。

この「夜光虫」のことについても、

これまでの「中高網漁業」を紹介させていただく中で、

触れておこうと思っていたのですが、

紹介するにあたり一応調べてみたんですよね、

そう「夜光虫」について。

そうしますと、光る季節は「冬」ではないといった情報なんかもありまして、

そうなると、もしかすると教えてくれた方の「勘違い」

という可能性もでてまいりましたので、

不確かな情報をお伝えするのもアレですし、

記事にする際、この部分も削ることにしたわけなんですよね。

ところが、これについても、

中高網漁業研究の第一人者「萩野氏」の研究冊子のなかで、

当時、中高網に携わっていた方からの聞き取りにおいて、

夜になると、ボラがどれだけ集まってきたか具合を見るために【中略】ボラが多く群れている時には、ボラが泳ぐとヒキ(ウミホタル)が反応して光り、ボラの動きが確認できた。

とあるではないですか。

萩野氏と、ワタクシ。

別々の方から、「夜光虫」と「ヒキ(ウミホタル)」と表現の違いはあれど、

同じ内容の証言を聞いていたことがここに判明し、

そしてこのことは、

その証言の信頼性及び信憑性を、

限りなく高めることになったのではないかなぁと、

思ってみたりするわけでございます。

CIMG9315_convert_20170321165542.jpg


農林水産業 ブログランキングへ
記憶と合致
CIMG9345_convert_20170322163828.jpg

中高網漁業について、

「お殿様が見に来たんじゃ」

というような話を聞いたような記憶があったんですよね。

ただ、それが昔の雑談の中のことであるため、

はたして「中高網」についてのことだったのかどうなのかハッキリせず、

「引田町史」等で調べてはみたものの、それらしき箇所は発見できず、

また、ワタクシの記憶違いということも大いに考えられたので、

今回、中高網漁業について紹介させていただく際に、

その部分は削ったという経緯があったわけなのですが、

なんと、今回の、

中高網研究の第一人者「萩野氏」の冊子の中に、

その部分を発見したわけでございます。

それが、コチラ。

第八代藩主松平頼儀が寛政八年(一七九六)11月4日から同月10日まで東讃の領地を巡見した際、11月9日に引田で「撥尾魚」(ボラの小さいもの)の操業を見学したことが、この巡見に随行した高松藩士・岡井赤城の『行封日記』に記録されている。

中高の名称の由来について、引田では「高」が付くことから、高松藩主松平家から操業を許可されたことに由来すると現在でも伝えられている。しかしながら網の中央部の網丈が特に高いという網の形状から、この名が付いたとする説も広く知られている。

寛政十年(一七九八)の『浦方諸願留』には、中高網の操業のとき、庄屋や浦役人までが火事装束の上、帯剣し鉢巻をして威儀を正して漁に立会うなど格式を持った行事であり、その収入は引田浦の経費に充てられたことや、中高網で得た収入で藩主の参勤交代や帰城、その他の御用のための水主の賃金を賄っていることも記されている。

やはり、記憶は正しかった。

というわけで、その昔、引田で盛んであった「ボラ漁」

中高網は、讃岐高松藩と深い関りを持つ、

格式高い漁業であったみたいですねぇ。

CIMG9342_convert_20170322163752.jpg


農林水産業 ブログランキングへ
中高網漁業
CIMG9330_convert_20170322164523.jpg

引田における、

中高網漁業研究の第一人者、萩野氏によると、

「引田の中高網は江戸時代から続き、

史料も断片的であるが通観できる程度の数は残存している」


とのこと。

それら近世史料、数々の文献、

また、当時の「中高網漁業」に携わっていた方への聞き取り、

などから、萩野氏がまとめあげた研究冊子より、

抜粋させていただく。

寛政11年(一七九九)の『讃岐廻遊記』には「安戸池 此浦に安戸池といふて東南西三方山を囲ひ、北より入海にて、冬の比おい、いな夥数群れ集る猟場にて、漁人莫大の利潤を得る所也」とある。

さらに、

嘉永六年(一八五三)編纂の『讃岐国名勝図会』には「安戸池」の項が設けられ、「厳冬に鰡多く集まりて幾千万をしらず、網を引くに壮観なり」と解説とともに挿図も付されている。

そして、

同年編纂の『三代物語』には「安戸池 初春の頃、鰡多く集る。一網にて取、仍て世に引田の千両網と云は是なり」とある。

萩野氏の研究によると、

このように数々の古い文献に、

引田の中高網についての記述が残されており、

これらのことから、当時の中高網漁業が、

この地域における「一大行事」であったこと、

そして莫大な利益を得ていたこと、

などが読み取れるわけでございます。

ちなみに、上の写真は昨日の朝市の様子。

ボラがたくさん獲れてるんですよねぇ。


農林水産業 ブログランキングへ
研究者より
CIMG9326_convert_20170321165915.jpg

先日のことになりますが、日曜日。

早朝からの日直当番を終えて夕方。

自宅でごろごろしておりましたところ、

ある方から突然の連絡をいただきまして、

その内容が、

当ブログで「中高網漁業」について取り上げているのを見た、

「過去に中高網の研究をまとめたことがある」

「専門的でおもしろくないものだが」ブログで使ってもかまわない、

資料はすでに引田漁協の郵便受けの中に入れてある、

というものであったため、ワタクシあわてて事務所に戻り、

その資料を封筒の中から取り出してみたわけです。

そうしますと冊子が4~5冊。

ペラペラと中をめくってみますと、

・・・・こ、これは。

CIMG9312_convert_20170321170303.jpg

なんていうか、

難しすぎて読めない。

というのは冗談で、

いや、読めないのは冗談でもなんでもないのですが、

大丈夫なんですよね。

ワタクシにも理解できるよう、

キチンと現代語で解説してくれております。

というわけで、引田の中高網漁業研究の第一人者、

「萩野氏」よりいただいたこの資料。

せっかくですから、ちょっとだけ紹介させていただきましょう。

続く。

CIMG9309_convert_20170321165407.jpg


農林水産業 ブログランキングへ
香川県漁業史より
CIMG9270_convert_20170315075305.jpg

その昔、引田で盛んであったという「ボラ漁」について。

最後に、香川県漁業史編さん協議会 編集発行の、

「香川県漁業史 通史編」170ページ。

【庵治と香西のボラ中高網】

これによりますと、

冬季になるとボラやイナ・セイ・コノシロなどは避寒と密集の習性から、

群れをなして集まっていることがある。

この習性から寄魚とも呼んでいる。

山の見晴台から、「沖合」という魚見の名人が見張っていて、

海の色の変わり方をみて、どこにボラが何千くらい集まっているとか、

コノシロが何万いるとかを見定めて、

基地にいる網船に信号を出し、操業の合図をする。

ボラやイナの寄魚をとる旋網漁業に中高網がある。

網は長方形で長さ250尋(約三七五㍍)、

中央部の深さは四〇尋(約六〇㍍)、

中央部が袖の部分より高くなっているところから中高網と呼ばれる。

上端に浮子、底に鉛岩のロープを取り付けている。

船は網船二隻、手船三隻、親方船一隻、

漁船二隻で漁夫は約四〇人。

操業は寄魚の習性に応じて、暗夜の、満潮か干潮か、

ちょっとした潮のとろみをねらって行う。

潮の速さをみるために飯粒を流して流れ方を見たりする。

昼間は魚の跳び方を観察したり、

害鳥から保護しながら魚の集まりを待つ。

「沖合」の合図によって、

親方船から指揮が下れば網船が網を下してボラの大群を包み込む。

手船などは浮子(浮き綱)に近寄り、ボラの跳ね出るのを防ぐ。

網船は網を縮めいわ綱を締めて袋状の中に魚を集め、

漸次身網を繰り揚げ、魚をすくいとり漁船に移す。

この網は、元禄年間(一六八八~一七〇四)、

引田村安戸池において使用されはじめたという。

県内各地に広まったが、なかでも香西と庵治のが有名だった。


とのことで、ここまで読んでみて、

その昔、県内各地で盛んであったというボラ漁「ナカダカ」

その「中高網」を使用しはじめたのが、

「引田」であったと言われていること、

などが今ここに判明したわけでございます。


農林水産業 ブログランキングへ