引田漁業協同組合が全力でお届けしています。
香川県漁業史より
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その昔、引田で盛んであったという「ボラ漁」について。

最後に、香川県漁業史編さん協議会 編集発行の、

「香川県漁業史 通史編」170ページ。

【庵治と香西のボラ中高網】

これによりますと、

冬季になるとボラやイナ・セイ・コノシロなどは避寒と密集の習性から、

群れをなして集まっていることがある。

この習性から寄魚とも呼んでいる。

山の見晴台から、「沖合」という魚見の名人が見張っていて、

海の色の変わり方をみて、どこにボラが何千くらい集まっているとか、

コノシロが何万いるとかを見定めて、

基地にいる網船に信号を出し、操業の合図をする。

ボラやイナの寄魚をとる旋網漁業に中高網がある。

網は長方形で長さ250尋(約三七五㍍)、

中央部の深さは四〇尋(約六〇㍍)、

中央部が袖の部分より高くなっているところから中高網と呼ばれる。

上端に浮子、底に鉛岩のロープを取り付けている。

船は網船二隻、手船三隻、親方船一隻、

漁船二隻で漁夫は約四〇人。

操業は寄魚の習性に応じて、暗夜の、満潮か干潮か、

ちょっとした潮のとろみをねらって行う。

潮の速さをみるために飯粒を流して流れ方を見たりする。

昼間は魚の跳び方を観察したり、

害鳥から保護しながら魚の集まりを待つ。

「沖合」の合図によって、

親方船から指揮が下れば網船が網を下してボラの大群を包み込む。

手船などは浮子(浮き綱)に近寄り、ボラの跳ね出るのを防ぐ。

網船は網を縮めいわ綱を締めて袋状の中に魚を集め、

漸次身網を繰り揚げ、魚をすくいとり漁船に移す。

この網は、元禄年間(一六八八~一七〇四)、

引田村安戸池において使用されはじめたという。

県内各地に広まったが、なかでも香西と庵治のが有名だった。


とのことで、ここまで読んでみて、

その昔、県内各地で盛んであったというボラ漁「ナカダカ」

その「中高網」を使用しはじめたのが、

「引田」であったと言われていること、

などが今ここに判明したわけでございます。


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